2016年12月1日木曜日

トントンしないふわふわオムレツの作り方

トントンしないふわふわオムレツの作り方

簡単そうでなかなか出来ないオムレツが、意外に簡単?(かなり練習が必要です)にできます。
 
ラップを使って簡単に









2016年11月30日水曜日

バケットホイールエクスカベーター

バケットホイールエクスカベーター
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。 Wikipedia引用
ドイツ語: Schaufelradbagger 英語: Bucket Wheel Excavator BWE[1])は、露天採掘に用いられる大型建設機械の名称。長いアーム先端に回転式の巨大なホイールがついており、ホイールの外側に複数の掘削バケットがついている。採掘したい場所にこのホイールを押しあてて回転させ、表土の鉱物を大量に削り取る。BWEにはアームの中にベルトコンベアが通され、採掘された鉱物はこのベルトに送られる。またBWE単体では使用されず、粉砕、散布、堆積など複数の機器の組み合わせによって運用される。下部には無限軌道が装備されており、移動しながら連続的な採掘を可能にした点が大きな特徴である。 旧東ドイツ人民公社(Volkseigener Betrieb VEB)であったタクラフ(TAKRAF 現:Tenova TAKRAF[注 1])社が製造した「Bagger 293」は人類史上最大の自走機械としてギネス世界記録にも登録されている[2]

 
wikipedia引用
バケットホイール掘削機は過去1世紀に亘り使用されており、1920年代にはいくつかの製造会社が起業している[3]。全体的なコンセプトの変更は行われていない一方、そのサイズは1978年にSRs 6300とBagger288ができてから劇的に成長しており、1995年に製作されたBWE「Bagger 293」はその全長225メートル、全高96メートル、総重量14,200トンにも及ぶ。バケットホイールの直径は21.6メートルであり、18個のバケットが取り付けられており、それぞれが6.6立方メートル(m³)の鉱物を削り出し保持できる他、マイナス45度の過酷な寒冷地でも稼動できるよう設計されている。近年、開発担当者は自動化と使用電力へその焦点を当てている[4]

2016年11月29日火曜日

北陸街道の宿場町寺泊温泉に浸かってきました。

北陸街道の宿場町寺泊温泉に浸かってきました。
先の平成の大合併で長岡市となった寺泊は、北前船西廻り航路の港町でもあり、本州から最短距離の佐渡赤泊港への航路でもあります。
江戸幕府天領の佐渡金山から寺泊に陸揚げされて、代官所のあった出雲崎で保管され江戸へと運ばれたのでしょう。
ヤマレコはこちらから



佐渡への流罪の港町でもあ有ります。順徳上皇日蓮世阿弥ほか多くの流刑者が寺泊から佐渡に送られました。
その多くは金山の鉱夫として、生涯を閉じたことでしょう。
日蓮上人説法像

 漁港であることからも、木の葉のような船に命を預ける毎日でしょうから、安全祈願の神社寺院が多く存在します。境内が隣接もしています。 
 白山媛神社(しらやまひめじんじゃ)。
Wikipedia 白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)、石川県白山市三宮町にある神社式内社加賀国一宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社。 





 白山宮



 急な石段が123段?

 白山姫神社からの、寺泊港展望



 本間数右衛門の碑
「信濃川大河津資料館ホームページ」
大河津分水の発想が記録として最初に登場するのは江戸時代です。寺泊の本間屋数右衛門が江戸幕府に大河津分水建設(当時は大河津堀割と呼ばれていた)を請願します。その後も、2代目数右衛門(子)など多くの人物が大河津分水の建設を幕府に訴えましたが、様々な理由で結局大河津分水は建設されませんでした。


 良寛像

 照明寺
 諏訪神社
wikipedia引用
全国に約25,000社あり、長野県諏訪湖近くの諏訪大社(旧称:諏訪神社)を総本社とする。また、諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰(すわしんこう)という。諏訪信仰は日本全国に広まっており、特に北条氏の所領に多い。鹿児島県では祭神名の建御名方命から「南方神社(みなみかたじんじゃ)」としているものもある。
 
 浚渫船

 浚渫用の超大型クラムシェル
 魚のアメ横
新鮮格安が売りの直売所は、連日大盛況です。全国各地のナンバーを付けた観光バスが、列を作ります。



 


2016年11月27日日曜日

会津三観音(ころり観音)巡りと三川温泉の旅

今年十七回忌を執り行った母親が生前元気なころ「ころり観音」に詣でてくると、出掛けたことを思い出しました。
ころり観音?若い頃には思いもしなかったことを、出がけに思い出しながら、自分の齢を振り返りました。
Wikipedia 引用会津ころり三観音(あいづころりさんかんのん)は、福島県会津地方大沼郡会津美里町根岸の弘安寺(中田観音)、河沼郡会津坂下町塔寺の恵隆寺(立木観音)、耶麻郡西会津町野沢の如法寺(鳥追観音)の三観音をあわせて、会津ころり三観音という。
人間は生を受けてのちは三毒(とん=むさぼること)、(しん=いかること)、(ち=おろかなこと)に よりもろもろの苦悩を受けることになるが、この三観音に巡拝し、罪障消滅を祈願することにより、その苦しみが除かれ、現世においては子孫繁栄、万願成就、寿命安楽などがかなえられ、やがて大往生を遂げられるという。
特に観音堂内にある抱きつき柱にすがれば、死の床に際しても苦しまずに成仏でき、家族に余計な負担をかけずにすむということで「ころり」三観音と呼ばれるようになった。
つまり、「ころり」とは心臓疾患脳疾患などの突然死を意味するものではない。
 鳥追観音如法寺(にょほうじ)
福島県耶麻郡西会津町にある真言宗室生寺派の寺院。山号は金剛山。本尊は聖観世音菩薩。この寺には境内に観音堂があり、「鳥追観音」の名で知られる。会津ころり三観音のひとつ。

山号は金剛山。







大山祇神社(おおやまづみじんじゃ )、福島県耶麻郡西会津町野沢にある神社である。
    • 代表的な神社として、三島神社や大山祇神社の総本社とされる大山祇神社愛媛県今治市大三島)や、これも三島神社の総本社とされる三嶋大社静岡県三島市)が著名である。
    • 全国の大山祇神社(山積神社/大山積神社/大山津見神社含む)の他、三島神社(三嶋神社)や山神社(山神神社)の多くでも主祭神として祀られている。1973年1月大三島大社講(大山祇神社)発行の『大三島宮』によると、その数はそれぞれ897社、402社、3,075社である。また、2007年國學院大學発行の『現代・神社の信仰分布』によると、371社、411社、1493社である。これらの神社は、沖縄県以外の全県に存在しており、新潟県が473社で突出する。


遇拝殿が集落のなかにあり、そこから歩いて一時間ほどの大倉山八合目に本社、山頂に奥の院が祀られていますが、今回は時間の都合で参拝できませんでした。

(立木観音)恵隆寺
福島県河沼郡会津坂下町にある真言宗豊山派の寺院。山号は金塔山。本尊は十一面千手観音菩薩。通称は立木観音。会津ころり三観音の一つである。


 








 



春日八郎記念公園
 〒969-6585福島県河沼郡会津坂下町大字船杉上宮21番地-1
会津坂下町出身で名誉町民でもある、春日八郎氏の思い出の品々を展示した記念館です。愛用のピアノをはじめ、ステージ衣装や楽譜思い出の写真等展示されており当時の姿が偲ばれます。さらに、休憩コーナーでは春日演歌が無料で熱唱でき、また、公園内には、別れの一本杉の隣に歌碑があり、氏の名曲「別れの一本杉」の曲がセンサーにより流れ出します。
町の午後5時の時報を知らせる防災無線のチャイムは『別れの一本杉』です。

 入館早々に「マイク」を握って熱唱するファンも多いようです。
 別れの一本杉の隣に歌碑
 雨上がりの虹が東の空に出ていました。

弘安寺(中田観音)
本尊の十一面観世音菩薩は文永11年(1274年)長者江川常俊が娘の菩提を弔うために鋳造された。寺は弘安2年(1279年)に建立され、年号をとり弘安寺と称した。



 十一面観世音碑
梵名エーカダシャムカ (एकदशमुख [ekadaśamukha])は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。梵名は文字通り「11の顔」の意である。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、六観音の1つでもある。玄奘訳の「十一面神咒心経」にその像容が明らかにされている通り、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩である。

 *はんばきぬぎの宿は三川温泉三川館でした。はんばきぬぎとは、新潟地方(旧西蒲原郡あたり)の方言です。旅のわらじを脱ぐと似たようなニュアンスでしょうか?はんばきは足の「ふくらはぎ」に付ける脚絆のことです。つまり、旅が無事に終わったので脚絆を取って祝いましょうと言うことでしょうか?
要するに「祝杯をあげようよりも、半履き脱ぎをしよう」の方が、こだわり過ぎずに話しやすかったのでしょう。












 若宮八幡神社
雑節 二百十日 〜収穫の秋へ向けて、風を鎮める祈りの日
夏休みの終わるころになると、台風が次から次へとやって来ます。今年も一つ台風を見送ったばかり。稲の花が咲くこの時期、農家の皆さんにとっては気が気ではありません。この台風が多く発生する時期が、立春から数えて210日目にあたる雑節・二百十日(にひゃくとおか)です。
二百十日(にひゃくとおか)から二百二十日(にひゃくはつか)までの間は、古くから災害に見舞われることが多かったため、人々は風を鎮めるために神に祈りました。各地に残る行事とその心を振り返ってみましょう。
※二百十日(にひゃくとおか)は9月1日にあたることが多いのですが、今年はうるう年のため、今日8月31日となりました。

野分、初嵐、秋の初風、そして台風…秋は風から変わる?

季語では、秋の暴風を「野分(のわき・のわけ)」、また台風のまえに吹く強い風を「初嵐(はつあらし)」、「秋の初風(はつかぜ)」と言います。立秋を過ぎると少しずつ風が変わることを表わしているようです。
【秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる】 藤原敏行朝臣
…目には見えないけれども、ふと気づけば風の音に秋を感じる…そんな風情が詠まれています。
収穫を前に風が変わる。それはよいことばかりではありません。当時の人々は神様に祈ることで災害を防ごうとしていました。それらの行事が今も各地に残っています。

各地の「風祭(かぜまつり)」いろいろ

風のお祭りというと、富山県の「おわら風の盆」(9月1日〜3日)が思い浮かぶ方も多いと思います。このほかにも各地で風祭や風鎮祭が行われていますが、山形県では8月に3つの風祭が行われています。
ひとつめは、「若宮八幡神社の風まつり(かざまつり)」です。
天保時代から伝わる『太々神楽(だいだいかぐら)』を五穀豊穣の祈りとして奉納します(県の無形文化財に指定)。毎年8月最終日曜日開催です。
ふたつめは、「沢畑風祭り太鼓」。
虫送りと風祭を同時に行う、まさに季節の風物詩というべき行事で毎年8月30日に開催されています。
そして、二百十日に合わせて開催されている風祭がもう一つあります。