2011年5月26日木曜日

三菱ふそう・T330型

三菱ふそうダンプT330型
三菱ふそうダンプT330型
昭和27年(1952年)、田中角栄氏が「道路法」を議員立法します。その第1条には
《この法律は、道路網の整備を図るため、道路に関して、路線の指定及び認定、管理、構造、保全、費用の負担区分等に関する事項を定め、もつ交通の発達に寄与し、公共の福祉を増進する ことを目的とする》と記されております。東京の一極集中を地方に分散して、過疎の解消を図ることも、大前提に有ったようです。それは、出身地の越後の豪雪地帯に、工業誘致を目論んでの構想もあったと想像できます。名神高速道路の、一宮市や滋賀県の栗東町の、インターチェンジ効果を評価しての判断もあったでしょう。交通網の整備は、過疎地の解消になると有権者にも訴えておりました。途端に建設ブームが起こり、地価の高騰・燃料高騰と、狂乱物価が始まりました。これは、昭和45年に開催された日本万国博覧会(別名:大阪万博、EXPO’70。)の工事に、莫大な投資を行った佐藤内閣の改造型でも有るように思います。大阪府吹田市の千里丘陵約350haを開発するのに使った900億円は時代的にいかがなものかといえば、当時小学校教員の初任給が18700円くらいですから、おおよそ10倍して9000億円です。建設予算の規模にはいまさらながら驚きです。そんな昭和35年代にこの三菱ふそう・T330型ダンプトラックは活躍しておりました。6トン車8トン車が主流で、その後後輪2軸の10トン車が、大量輸送の主役となるわけです。いすゞ・TX・TDも同じ時代を担ったトラックたちです。

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