2011年3月3日木曜日

桑名藩

江戸時代には伊勢国にあり、揖斐川に面した水城であったようです。現在も運河を通じて揖斐川に出れそうですが、実態は定かではありません。徳川将軍家の四天王に列せられる、本多忠勝の入府により立藩したようです。
木曽三川の、揖斐長良川に面した桑名藩は、常に水害の影響に直面していたことは容易に推測できます。現実に藩主の多くはその対策に苦労したようです。松平定綱の時代には、慶安3年(1650年)の大洪水では6万4000石もの被害をもたらす大惨事となり、第5代藩主松平定重は、53年間桑名を支配するという長期政権であったが、この時代も天災が相次ぎ、この騒動により定重は越後高田藩に懲罰的な移封を命じられたとのことです。これにより、現在の新潟県柏崎市に桑名藩の陣屋が設けられ、飛び地が存在することになりました。桑名藩から遠く離れた越後に所有地が出来るとは???流石徳川政権です。世界的な飛び地も不思議なほど多く、殆どが戦の影響でしょう。パナマ運河の両川岸も、最近までアメリカの租借地でした。運河を掘削したアメリカがその運営の関係からそのようになったのでしょうが、アメリカ橋が有名でした。

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