19,796総トン、全長192.9m、幅29.4m、出力26,400ps、航海速力21.8ノット。 旅客定員920名。車両積載数:トラック186台・乗用車80台。プール設備あり。当時としては国内最上級のフェリーでした。
明治の暮れに南極大陸に挑んだ「海南丸」は百分の一の200トンだったそうです。 現代ならまだしも、100年も昔に赤道を越えてはるばる1万キロの探検を成し遂げた白瀬 矗(しらせ のぶ)氏の栄光は、類稀なもので他に類を見ないでしょう。
それは置いといて。12月ともなれば、日本海は毎日のように冬型の気圧配置で荒れています。2万トンの船が欠航することは殆どありませんが、時にはそれもあります。時化の時の船の揺れは、初心者にとって死ぬ思いです。口から内臓が飛び出してきそうな・・・・・寝ていることさいままなりません。ローリング(横揺れ)なら序の口です。ピッチング(縦揺れ)しようものならプロの船乗りもお手上げで、時間の過ぎるのを待つしかないと言うから恐ろしい。
午後5時に舞鶴港に到着した時には、港は既一面の冬景色で、雪が舞って所々に吹き溜まりが出来ていました。そんな冬のフェリーに、2室しかないスィートルームを予約した目論みは??大時化の日本海を航行するフェリー「あかしあ」の運命はいかに・・・・・
No2に続く
太平洋フェリーには昔乗りましたが、日本海側は乗ったこと無いですね。いつかは乗りたいと思いつつ
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